子供の頃から写真を撮られるのが苦手で、デビューした後は撮影の機会が多くて真剣に苦痛だった。記念撮影すら恥ずかしくて、でもそんな事も言ってられず頑張ってみたがやっぱり苦手。今回はそんな自分を打破すべく、家で友達に、まずはマンツーマンで撮ってもらいました。少しずつでも慣れて行こう(かなり今さらですが…)。
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20代の僕が、バイブルのごとく傍に置いていた「イリュージョン」という小説がある。気ままな飛行機乗りのリチャードと、彼が出会った風変わりな“救世主”ドナルドとの物語。
ある時リチャードは尋ねる。「救世主はどこで勉強するんだ?誰かに習うのか?」
ドナルドは「教科書があるんだよ、リチャード」と、救世主入門と書かれた黒いスウェードの表紙の小さな本を見せた。それは、どこを開いても、任意にページをめくればそこに一番自分の知りたい事が書いてあるという。
しかしドナルドはこうも続けた。
「いや、こんな仰々しい入門書でなくてもそれはできるんだ。聖書、仏典、そんなものである必要はない。スリラー小説、ラブレターの書き方の練習帳、何年か前の新聞、ギターの教則本、やったことない?こうするんだ、頭の中に妄想の渦巻きを起こす。“俺は自殺するべきかそうでないか”といったようなことを思い浮かべて、何でもいい手近にある本を開くのさ。精神を集中してそこに書いてある事を読むんだ。そうすると、ギターの教則本が、自殺に関する答えを出してくれる」
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少し前、自分の至らなさが原因で周囲に誤解を与え傷つけてしまっていた事を知った。自分の真意と違うとしても、人が受け取った事実については言い訳など出来るはずもなく、体の中に居座るかたまりを目をそらさず見つめるしかない日々。ヘコむ。ただ自分はこうだからと、開き直ることで逃げようとも思わない。この出来事は自分に何を学ばせようとしているのか、受け止めて、今日へ、明日へ、つなげて行かなくてはならない。
そんな時、たまたま目にした知人のブログ。
そこには自分自身を背負う事への苦悩と覚悟が力強く書かれていた。他と違う主体者としての、同時にその愛すべき違いを甘えへと転化させない責任。飾らない言葉の根底に流れているのは、自分と他者への大きな愛なんだと思う。今の自分にずどんと響く正直な日記だった。
人は行動を通してしか伝えられないのかもしれない。本当はこう思っていたのに、なんて、後から聞かされる側には迷惑なだけかもしれない。だから、その時々の思いをきちんと伝えきりたい。分かってもらおうなんて贅沢は言わない。ただ、たいせつな人とは、できれば通じ合いたい。同じように、自分の心に「?」が浮かんだ時はきちんと相手に伝えよう。勇気を出して、動き、声に、言葉にしよう。
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いろんなことがある。でも世界は今日も動いている。悶々としていても、携帯メールにはタワレコから「新着お得情報♪」が届く…。
もっと強くならなくては。
イリュージョン/リチャード・バック
これが今の義樹さんの気持ちですね。
なんだろう、胸に響く…
今年、バック久し振りの新作(ヤングアダルト向けのファンタジーは一昨年くらいに「フェレットの冒険」だかなんだか、新潮社から途中まで出てますが……)やりますよ! というか、去年アメリカで出た『Hypnotizing Maria』という本の和訳版、それをこの世代で最高の編集者のひとりに手掛けてもらうことになりました。乞う御期待っっっ!! 出来たらサンプル送りますよ〜
動かないと何も伝わらないですね。わたしの場合はうまく伝えようとして逆に何も言えなくなってしまってたけど、通じ合いたいと思ってくれる相手だったらどれだけ不器用でも解ろうとしてくれるはずだから、恐れずに動こうと思います。
長々とゴメンナサイ。今の自分とリンクしたので伝えたくなりました。