西麻布73 7th anniversary party “minna no nami”
本当に楽しい夜でした。
予告していたとおり、第一部は波(73)にまつわるカバー曲を次々披露。歌詞に波が出てくる、あるいは波を感じさせるということで、ほとんどが夏っぽい曲に。冬の波ってのも考えてはみたものの、思いつくのは演歌ですよね。おもに日本海側がテーマの。
さらに帰り道の運転中「季節柄、クリスマスソングのひとつもやったほうがよかったのかしら」という手遅れの迷いが頭をよぎったのも正直に打ち明けますが、先人たちの作り上げた名曲への感謝、そして73へのお祝いに心を込めて歌ったつもりです。
前の記事にも書いたように、どの曲も凄すぎて、練習している段階で幾度も震えを感じました。メロディーも歌詞も本当に素晴らしく、またその曲がリリースされた時代背景も合わせると、すべての必然性の深さに、何ともいえぬありがたい気持ちでした。
もし自分が二十歳くらいなら、
「音楽、マジヤバい」
で、済ませてしまうところですが、今はもう少し掘り下げてみよう。
ポップスやロック、歌謡曲の1曲ってだいたい3分から5分くらい。その中で、目の前の景色を離れて、別の場所に連れて行ってくれたり、過去の喜びや哀しみや切なさの経験を呼び起こしてくれたり、落ちた頭を前に向かせてくれたり、さらに、一緒に口ずさめる仕掛けもふんだんに用意してくれていたり。一緒に歌えるって本当に嬉しいことなんだ。嬉しいことって、新しいエネルギーをくれるんだよ。
僕は評論家ではないし、曲を聴くたびに細かい分析をする訳でもない。ただ、作り手であると同時に強力な音楽ファンでもあって、人生の中でこういう曲たちに何度も何度も救われてきました。僕がセレクトするカバー曲は、僕の魂に色付きの波紋を残してくれたものばかり。感謝と敬意の心を持って再生する(「再び・生む」)気持ちはもちろんのこと、その曲を知らない人にも歌い伝えていきたいという想いがあるんです。
見つめ合う時は
高波のように
そばにいるだけで
自分を忘れた
人魚/NOKKO より
海の波の続きを
見ていたらこうなった
胸のすき間に
入り込まれてしまった
誰のための道しるべなんだった
それをもしも
無視したらどうなった
さすらい/奥田民生 より
体のどこかに流れる
あなたとの似たもの
それが何か感じられたら
世界は疑いの海から
抜け出せていないと思わないで
はじめから歌いだせたら
VALON-1/Salyu より
嗚呼、感謝。
そして第二部は、久しぶりのiMAGINATIONS Solo electric set。
ミニアルバムHIRAKUをリリースした頃、ひとり重たい機材を持ってあちこちライブに行っていたことを思い出します。事務所を辞めてフリーになって、制作からマネージメントまで、何から何まで自分でやり始めたあの時期。リリース後のプロモーションが一段落した後、めまぐるしく動いてきた反動のように、典型的な燃え尽き症候群に陥ってしまった。そのことが若干尾を引いた、という理由だけではないのだけれど、このスタイルでのライブとは少し距離を置いていたのかな。
今年は好む好まざるの前に、自分自身を見つめ直すべきタイミングだったのでしょう。それはもちろん僕だけでもないとも思うし。
過ぎた日の、楽ではなかった出来事も、今の自分を形成する大切な要素。心からそう思えるようになったのも、確かに今年の収穫だったな。
Electric setも、時間を空けたことで凄く新鮮な気持ちで向き合うことができて。この、音の表現方法というのは、ソロになった時に自然にできあがったものだったから。付随する思い出を理由に目をそらす必要はなかった…、でもまあ、これも経験しないと分からなかったことでね。
ソロでの長い演奏時間を73にいただいて、聴きに来てくれる人が飽きずに楽しんでくれるよう考えて臨んだ今回の企画。けれど、終わってみれば、自分の歴史のページを開いて行くようなライブになっていたんですね。
そうかー。不思議だな。
第二部を終えて、最後にもう一度、弾き語りでUnite for Friendsを唄ったとき。2011年の、自分にとっての悲しみと希望を象徴するこの曲を唄いながら、自分の居場所を思いました。
優しさも 愛さえも
本当言うと解ってない
それでも伸ばす手を
僕にあるすべてを
僕は声を使って、君に手を伸ばしてる。
小さな頃から歌が好きで大好きで、たくさんの曲に、いや、曲という方法を媒介して、たくさんの人の美しい心に助けられてきて。その喜びを、自分の大切な人ともシェアしたい。その気持ちはどんどん強くなっています。
そんな、2011年最後のライブでした。
聴きに来て下さった方、そしてこの大切な日を僕に任せてくれた73に、もう一度感謝を。
ありがとうございました!